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ワタシの転職体験記
看護師 荻野智美さん 49歳
■ 第五回 仕事は辛いものと割り切ったっていい。使命感を持って働くということ。
今回インタビューさせていただいたのは、神奈川県の丹沢病院で看護部長をされている荻野さんです。
どのような経緯で管理職に就くことになったのか、また荻野さんの看護観や若手ナースへのアドバイスを聞いています。
---現在のお仕事ではどのような業務をなさっているのでしょうか。
大きく項目わけするといくつかあるのですが、病院の運営に関わることと、看護部に関することで分かれています。
病院運営に関することでいうと管理運営会議で病院の課題に取り組んだり、看護部以外の委員会や会議に参画してその情報を看護部に伝達したり、などです。
看護部に関しては、人員体制の確保と調整が現在一番大切な業務です。その中には人員基準の調節から、労務管理、職員の精神的なフォローなどと色々な要素があります。やはり女性がほとんどの職場ですので、冠婚葬祭などで時間を取られる方が多くて、そこの調整もどうしても仕事になっています。それと、具体的な業務に関しては、週間・月間・年間での業務スケジュールの把握、確認、再調整です。さらには、物品やお薬の管理、医療機器の管理などに関してもきちんと動いているかどうかを見て回って把握したり調整したりします。また、これらに加えて他病院などとの連携も調整します。こちらは、入院確保だけでなく、近隣の看護部長会ですとか日本看護協会、日本精神科看護協会などといったところに参加して情報収集や情報の伝達をしています。
あと、最後に教育活動です。精神科は新人が少ないんですけども、今後それをどう開発していけるかを課題にしています。プリセプター制度とか一般病院ではあるものが、配置基準の面からもなかなかつけられないですし。そして精神科は職員の高齢化もありますので、そういった方々の教育に関する信念だとかを確認して、開発をしていかなければいけないなと思っています。
---病院のその方針を決定する会議というかそういうのは大体どれくらいの人数で?
さっき申し上げました管理運営会議っていうのは月に一回あるいは臨時でもう一回あるのですが、大体15名弱ですね。それは経営者でありトップである院長、それから診療部長、副院長、医局長そして事務長、事務部長、看護部からは私、ですね。
---看護師さんの人員の確保に関してはどのような手段をとっていますか。
そうですね。精神科という科目や地域柄もあると思うんですけど、当院は本当に地域に根ざしていて、それは患者様に限らず職員にとってもそうなんです。8割の方が車通勤で30分以内ということで、病院の開院以来、既存の職員を大事にしてそのお友達とかお知り合い、という風に人員を確保してきたようです。
---それはなかなか一般の病院では見られないですね。
それでも、このような状況も段々と変化はしてきていて、現在では広告を出したりナースバンクやハローワークを利用したりしています。ただ、ナースバンクなどからの吸い上げはやはり少ないですね。というのも、先ほども申し上げたとおり精神科は新卒がなかなか少ないので。なので最近では、人材紹介の会社様にお声掛けをしたりして、色々とミックスさせて行っています。
---紹介会社を使われるようになったのは荻野さんがこちらにこられてからですか。
そうですね。私自身がそうだったんですけど、そのほかは副院長を紹介していただいたっていう経緯はあったみたいです。
でも看護師はほとんどなかったみたいですね。
---荻野さん自身は紹介会社を使われて転職されたのですか。
はい。実は以前ある病院の職員だったときにそこの看護師募集で紹介会社様にお願いしていて、その際エージェントとの連携ができたのでその中で自分のことも紹介してもらいました(笑)。それは今の前の病院なのですが、その後もやっぱり自分で探すには限界がありますし、エージェント様にお願いしていました。それで今の病院を紹介いただき、勤務しています。
---実際に紹介会社を使われて、すぐに転職先はみつかりましたか。
そんなに簡単ではなかったですね。いくつか行ってはみたんですが、面接に行って帰ってきて、「ではお越しいただこうと思います」なんてうれしいことを言っていただいても、その一週間後に「やっぱりなかったことにして下さい」なんていうこともありました。
---難しいですよね。時間の経過とともに、希望や考え方自体に変化はありませんでしたか。
ありました。色々と考えました。希望年収を下げることなどはもちろん、職位についても先方が提示してくれたものに準じて、将来性があるものであればそこからスタートしようかとか、そういう話もたくさんありましたので色々と考えました。でも、そうかといってそのつもりで面接に行ってもまた話が変わったりとか、またそちらも色々ありまして。もちろん個人でも探したんですが、そうすると連絡自体来なかったりとか。そこらへんはやっぱりエージェントさんが入っていただけるといいなと思いました。
---今の病院は精神科の病院ですが、精神科に関わり始めたのはここの病院からですか。
はい、初めてです。まだやってみたというほど年月は経ってないですけど。正直なところ精神科の病院に来ることに抵抗はありました。精神科が嫌だ、などではなくて、今まで急性期の病院にいましたから、そこと全然違った世界に行ってしまうような思いがありました。でも、今では来てよかったと思っています。
---転職をして今では良かったというのは、どのようなところでそう感じますか。
一般急性期に比べると、救急外来がないですし、オペ室もありません。ですので看護部長としての職務に専念しやすい、という点があります。それと、精神科で、また地域で育ってきた病院なので、長い年数お勤めになってる方が多いんです。30年、20年、10年と。私が移ってきたときにも、もちろん今でも働いていますが、副看護部長が勤続30年のベテランですし、もう一人定年制度の改定で定年後に常勤復帰された元副看護部長もいて、15年のベテランなので、そういう方々からサポートしていただけるというのもあります。看護職員自体は一般急性期より少ないですけど、長く勤めている方々がいると、精神科ならではの急変を察知する際など、とても助かっていますね。
---管理職に就かれるようになってからどれくらいですか。
私は結婚をしてからしばらく、看護師から離れていたんです。夫がアメリカに住んでいましたので、アメリカに渡り、そこでは看護職とは関係の無い、日系の新聞社に勤めました。それから日本に帰ってきて、とある病院で主任を勤めました。その病院は、夫の仕事の都合で引っ越すことになったため退職したのですが、次に勤務した会社が面白い会社でして、ある程度のマネジメント能力を有する人を採用してそこでさらにその企業でマネジメントの教育をした後に病院へ出向させる、という会社だったんですね。そこで色々な資格をとらせていただいたり、帳票の運用方法や仕組み作りなどを学びました。ひとつの施設、病院で看護部の責任者となったのは、そこから色々な病院へ行かせていただくようになってからですね。
---出向でいきなり管理職に、となると現場での苦労も多いのではないですか。
まったく協力が得られない場合はもうどうしようもないですね。週に1回、その会社で報告・連絡・相談は出来るのですが、そういう人間関係なんかはマニュアル化されてないですし(笑)。そういう場合は、ちょっと横の部門の方たちと仲良くなったり、色々と自分で工夫をしました。ほんとに八方塞な時でも、もちろんあきらめなければいけない部分もありますが、ある程度現場での仕組み作りは一緒にできるようになりましたね。
---管理職ならではの苦労もたくさんあるかと思いますが、やりがいなどはどのような時に感じられますか。
仕事は本当につらいです。そして厳しい、苦しい、です。それは急性期にいても精神にいても同じですね。自分が人間として仕事に来ると楽しいか、というとそういう仕事ではないです。私はもともと育った病院が日本で初めてホスピスを立ち上げた病院で、当時そういう分野にとても興味があったんです。新卒で最初についた病棟がそこの末期がん病棟で、そこで2年間働きました。そもそも、看護の仕事も医療の仕事も人の死に関わるものであって、治療したからといって必ずしも病気が治り元気に退院していくかというと半数以上が違いますよね。ですので、そこに身を投じて働いている時間は悲しくてつらくていいんじゃないかなと。それを二十歳の頃に就職して初めて、こんなに悲しい苦しい仕事なのか、体も疲れちゃうし自分の時間も持てないし、、でもこういう仕事を誰かがやらなきゃいけないと思ったんです。患者さんや家族と一緒に悲しくてつらくて、家に帰ってヘトヘトになってもそれには大きな意味があって、その意味は決して無意味じゃないんだ、と僭越ながら考えたんですね。
---ココにやりがいを感じる、ではなく仕事そのものが使命のようなものだと。
私は家に帰ると全く看護師で無くなるんですよ。もちろん看護部長でもなくなります。そういう切り替えが40歳を越してからようやく出来るようになったんですね。普段は苦しいけれども今は仕事があるから生きていかれるし生活できるし、今は仕事から離れているからこんなに一分一分が自由だとか食事が美味しいとか楽しいとかそういう風に過ごしたりできますし、んーそれだけです。それだけでもいいのかなとも思います。
---なるほど。ところで最初の病棟というのはご希望されて行ったんですか。
元々はホスピスを希望していました。でも、当時その病院は遠藤周作先生やマザーテレサなど、著名な先生方が宣伝をしてくださったこともあって、、とても希望者が殺到していてなかなか希望のところにはいけませんでした。それでも楽な職場を希望することもできたのですが、当時そういうところには興味がなくて。。時代の影響もあったのかもしれないですが、マザーテレサの影響も強かったですね。寄り添う看護、死と向き合う看護に憧れを持っていたんですが、実際にはもっともっと卓越したスキルと精神力が必要でなかなかその憧れまでは到達できないんですよね。それでも当時、もうどうしようもないなって悩んだりしたことが、今看護部長という立場で同じように疲弊している看護師さんに対して気持ちもわかりつつ話ができるのだと思います。
---一方通行的な、いわゆる「やりがい」を強調されることが多い中、こういうメッセージは心に響くと思います。
あんまりいうと逆に人が集まらなくなっちゃうかもしれないですけど(笑)。明るく楽しい仕事じゃないですが、その悲しい辛い現実をいかにさわやかに、精神的には健やかに薄められるかっていうところが看護の醍醐味ではないかと思うんです。医療の後に看護が残るといいますか、ホスピスでしたりもちろん精神科でも、そのような方の看護に尽力することを長い目で自分の使命感やプライドとかやりがいに変えていくことが必ず出来るはずです。現在疲弊してしまってどうしようもない方には、そういうチャンネルを切り替えて見てみてもいいんだよ、と伝えたいですね。
---それでは、最後に今後の目標などございましたらお願いします。
私はこの精神科の看護というのがすごく社会のニーズだっていうことがわかりました。それと同時に諸外国では、例えばイタリアなどは精神科の入院患者をゼロにしてしまったそうですし、アメリカでも精神科病院の平均在院日数は5日です。全世界的にそういう傾向の中、日本だってそうなってきています。在宅と精神科クリニック、そしてデイケア。患者さんがせめて健やかに生活できるようどこまで出来るのかなどのプロジェクトを実は来年立ち上げることになり、そこはやっていかなければいけないなと思っています。
---どうもありがとうございました。



